最終戦まで混戦だった今年のJ2
J2リーグの2018年シーズン_レギュラー試合が終わった。
最終戦までJ1自動昇格の可能性のあるクラブは4チームにあり混戦だった。
今シーズン、前半戦は1位を継続する期間が長く上位をkeepした。
シーズン途中、7位まで落とした時もあったが終盤は1位と2位を行ったり来たりでJ1昇格が現実味。
2012年は
思えば2012年J2レギュラーシーズン6位からプレーオフを制しJ1昇格を決めた。
その翌年2013年シーズンはJ1昇格初年度、18位と沈みたった1年でJ2に逆戻り。
2015年シーズンJ2_21位でJ3入れ替え戦で負け初のJ3に。
2016年シーズンJ3を見事制し1位でJ2復帰した。
2017年の昨年はJ2_9位だったが今年は見事な戦いで2位となりJ1自動昇格圏内へ。
これまでの最高位は2008年シーズンのJ1_4位、その年に初タイトルとなるナビスコ杯(現ルヴァン杯)を制覇した。
シャムスカ監督の下、本当に面白いゲームを展開し魅了した。
当時、日本代表にも選出された西川周作、森重真人、金崎夢生、家長昭博、清武弘嗣などいい選手がいました。
今、考えてもこんなにいい選手を揃えることができることは二度とないだろうなあと思えるくらいの選手層でした。
ナビスコ杯決勝はしびれました。
たぶん大分県民の多くはテレビを観ていたのではないでしょうか。
スタジアムにも多くのサポーターが駆け付けました(約1万人)。
その当時、なぜか試合前から負ける気がしませんでした(私が試合をするわけでもないのに)。
J2に参加した1999年からあと一歩のところでJ1昇格できませんでした。
1999年、2000年は3位、2001年は6位、2002年やっとJ2制し1位となり初のJ1昇格となったのです。
それから2007年までは下位から中位(8位~14位)でしたがとうとう2008年に日本一をとったのです。
観ていて感動しました。
感動したのはJ1初昇格の2002年、初タイトルの2008年、J1再昇格の2013年と今回(2018年)の3度目のJ1再々昇格でした。
大分トリニータ、激動の10年間
初タイトルを取った翌年の2009年は経営危機が表面化しJ2に降格。
その時に主力メンバーのほとんどが流出した。
本当にさみしいものでした。
クラブも消滅するのではないかと不安でした。
そんなことがあって10年間、本当に天国と地獄、激動の10年間でした。
選手、スタップ、サポーター、ボランティアなどなど関係するみんなあっての地方のクラブだとあらためて思いました。
#大分トリニータ の事務所には #清武弘嗣 選手をはじめ、皆様方からのお祝いのお花や電報がたくさん届いております?ありがとうございますm(_ _)m
そしてナビスコカップ(現ルヴァン杯)でトリニータを優勝に導いてくれた #シャムスカ 監督からもお祝いのメールが届きましたのでご紹介します?(続く) pic.twitter.com/gROUg7SvCG— 大分トリニータ【公式】 (@TRINITAofficial) 2018年11月19日
私が4年間指揮した大分トリニータが、J1の舞台に戻れたことを非常に嬉しく思っています。
又、関係者の皆さん、プロとしての責任を果たせたこと、おめでとうございます。遠くにいても常に応援しています。
PERICLES CHAMSCAシャムスカ監督オブリガード??
— 大分トリニータ【公式】 (@TRINITAofficial) 2018年11月19日