鹿島アントラーズは今もJリーグの強豪クラブ
Jリーグ開幕当初に活躍した、ジーコとアルシンドについて振り返ります。
Jリーグが開幕したシーズンは、三浦知良やラモスが活躍して優勝したヴェルディ川崎が有名なのですが、今のヴェルディは当時の面影はなく、J2に降格したままです。
それに対して、ジーコとアルシンドが在籍した鹿島アントラーズは、今もJリーグの強豪クラブです。
今でも鹿島が強いのは、ジーコとアルシンドの影響があると言えます。
Jリーグ開幕当時のジーコについて
Jリーグが開幕した時のジーコは、すでに一度引退しており、40歳になっていました。
その年齢だと当然ながら、運動量が全然ありません。
しかしそれを補ってあまりある、テクニックや経験が彼にはありました。
その経験に裏打ちされたジーコのキャプテンシーにより、鹿島アントラーズの選手たちは、急激にプロのサッカー選手として成長しました。
そして、Jリーグを見ている側としては、ジーコの華麗なテクニックに魅了されました。
若い頃のジーコはとても足が速く、それを生かしたプレーが目立ちましたが、膝の大怪我をした後は快速を生かしたプレーはできなくなりました。
ですがその分、Jリーグでは円熟したテクニックを披露してくれました。
Jリーグ開幕当時のアルシンドについて
Jリーグでプレーしていた頃のジーコは、運動量やスピードは全盛期のものではありませんでした。
そこで、ジーコはブラジルからアルシンドを日本に呼びました。
当時のアルシンドは、スピードやテクニックがとてもある選手でした。
特にカウンターの時のスピードにのったドリブルは、誰にも止められない感じがありました。
走っている時の体幹も強そうでしたので止められないように見えたのです。
この頃のアルシンドの印象は、奇抜な髪型やカツラのCMに出演した印象が強いですが、スピードやテクニックも素晴らしかったです。
また、ジーコからの質の高いパスと彼とのコンビプレイにより、アルシンドの能力は最大限に発揮されていたとも言えます。
アルシンドはのちにヴェルディ川崎に移籍してしまいましたが、移籍後は鹿島時代のような素晴らしいプレーはあまりできていなかったです。
それは、ジーコという存在がなくなったからだと考えられます。
ジーコのようなテクニックのある選手と組めば、もっと活躍したかもしれませんが、当時はジーコぐらいのテクニックを持っていて、質の高い選手は日本にいなかったです。
ジーコはジェフユナイテッド市原に入る予定だった
Jリーグ開幕前のジーコは、古河電工(ジェフユナイテッド市原)に入る予定でしたが、古河電工に断られて、住友金属(鹿島アントラーズ)に入りました。
今になって考えると、ジェフはなぜジーコの加入を断ったのか不思議な話です。
しかし、当時の日本のサッカーはアマチュアですから、超有名なプロサッカー選手の扱いに困ったのかもしれません。
ですが、もしジェフに加入していたら、リトバルスキーとジーコのコンビプレイが見られたかもしれませんので、すごい話です。
とは言え、結果的にこれにより、ジーコとアルシンドのコンビプレイが見られたのです。
そして、スピードとカウンターを重視した当時の新しいサッカーが日本に浸透していきました。